満蒙開拓移民
満蒙開拓移民は日本の国策として移住させられた日本人のことで、満蒙開拓団とも呼ばれます。多くは農地を相続できない農家の次男三男や、土地を持たない小作人で、日本本土(内地)からの移住者の大半を占めていたのがこの開拓移民です。
開拓移民は開拓地を国から分け与えられ、農業に従事することになりますが、戦争がはじまり日本兵が人手不足になってくると、満州に移住してからすぐに軍に招集されるケースが増えてきて、次第に移住先の村は女性・子供・老人ばかりになっていったといわれています。
満州では現地住民に恨まれることもしばしばで、移り住むには不安も多かったため、自ら進んで満蒙開拓団に手を挙げる人は実はほとんどいませんでした。そのため、拓務省(植民地の統治を監督する省庁)、農林省、自治体の長などが連携して開拓移民の人数集めのノルマ達成に奔走していたのです。
さらに日中戦争(1937年)がはじまると、大戦景気などの影響で本土の人手が足りなくなり、満蒙開拓移民の確保はより一層困難になりました。そこで考え出されたのが「青少年義勇団」という制度です
母から聞いた話です。
戦争が終わったら、おばさんの遺品を持って来てくれた人がいた。とのこと。
おばさんの夫は満州で軍に招集されたので、無事日本の返ってこられた、富山の福光に家があるとのこと、1度訪ねかった。その願いをかなえたい気持ちです。
妹を亡くした母の気持ちどんなにつらかったことだろう・・・
とても心が大きな妹で母が怒られる場面ではいつも自分の責任にしてかばってくれたとか。。。
75歳になって昔のことがいろいろ思い出される。
思い出したことは綴っておこうと思うこの頃です。