makitusoraのブログ

森の中の生活

丹波市清住カタクリ見学に

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カタクリ見学の帰りに寄った達身寺(たっしんじ)(曹とう宗)
歴史
 達身寺の前身は、良く解っていないが、寺伝によると、織田信長丹波平定の命を受けて、明智光秀丹波攻めをし、篠山城や保月城が攻められた。達身寺は当時、僧兵を抱え山岳仏教の強権を張るような大寺院であったと言い伝えられたている。その僧兵が保月城に加勢をしたと言うことで保月城を落とすまでに寺が焼かれたといわれている。寺を焼かれる前に、仏像を守ろうと僧侶が谷へ運び下ろした。仏像だけがそのまま長い年月置き去りになってしまったと伝えられている。
 元禄8年(1695)、この村に疫病がはやり、多くの人が無くなった為に、占い師に占ってもらった結果、「三宝を犯した仏罰である」と言われ、村人達は山に登り放置され仏像を集めて、破損していた達身堂をこの地に下ろし、修復し、仏像を安置し奉った。